わたしはお姉ちゃん〜わたしと弟とロイズのチョコレート〜
こんにちは、精神科医の諸藤えみりです。
最近、自分の内面と向き合っており、発信の更新頻度が落ちています(ごめんなさい)。
弟についても考えたので、今日は弟について書きます。
ついに書いちゃったという気持ち。
もうこれでわたしが隠していることは何もない。
(体重も過去に暴露したし、書いてないのはスリーサイズくらいかな🤣w)
独白です。長いかも。
わたしは弟の存在を隠していました。
先日、「子どもは勝ち組になってほしい。」という言葉を耳にした。
その話題はすぐに流れたけれど、わたしの心にずっとひかかっていた。
わたしには子どもがいない。
もし自分に子どもがいたとしても、「勝ち組になってほしい」とは言えないと思った。
なぜなら、弟は社会の負け組だから。
わたしの弟は世に言う引きこもり。
こちらの記事にわたしの家族について書いた。
わたしの家族の歪みは、1番弱者だった弟に出た。
20年前、不登校は珍しかった。
弟は何とか高校を卒業し、親の決めた専門学校に進学する。しかし、勉強についけずに退学。美容師を目指し国家資格を取得するものの、人付き合いが苦手な彼は客商売ができず断念。近所のガス会社に就職するが、たぶん3日も出勤できなかったと思う。すぐにやめて部屋に引きこもるようになった。
家族の誰とも口を利かず、電気のついていない部屋で一日を過ごす。
わたしはそんな弟を認められなかった。
人から「弟さんは今何しているの?」と聞かれるのが苦痛だった。わたしは「美容師です。」と嘘をついていた。そしたら「そうなの?じゃあ今度切ってもらおうかな。」と返ってくるのだが、作り笑いで誤魔化していた。
正直に「弟は家にいます。」とは言えなかった。
社会に出て働くのが普通、という考えだった当時のわたしは、世間体を気にしていた。弟のことは好きだけれど、弟の「在り方」は認められなかった。「お姉ちゃんは医者なのに、弟さんは働いてないんだ。」「健康な体があるのに働かないってどういうこと?」と、思われたくなかった。
わたしは「体が悪いとか、皆が納得する働けない理由が弟にあればいいのに。」と思っていた。もちろんそんなものはなかった。心という、見えないものが原因だった。
そんな生活が5年以上続いた。転機は同居していた祖母の他界。
亡くなる当日、家族が病室に集まり祖母が息を引き取る瞬間を見守った。弟も泣いていた。弟は人が多いのが苦手なので、弟が出席できるようお葬式は自宅で近しい人だけを呼んで行うことにした。が、半世紀地元で商店を営んでいた祖母は人気者で、祖母の死を聞いて駆け付けた近所の方々で家が溢れた。(わたしの地元は田舎なので、誰かが亡くなるとスピーカーで放送するんです…)
わたしは「ちょ?!こんなに人がいたら弟が出れないじゃん!!」と思ったが、弟は通夜、葬儀、すべて出席した。
祖母の死をきっかけに、弟は家族(父をのぞく)とポツポツ話すようになった。
たぶん、わたしたちが敵ではないことが分かったのだろう。それまでは家族からも拒絶されていると思って部屋に閉じこもっていた。
家族関係は改善したものの、昼間に外出はできず、出かけるときは決まって夜。帽子を目深にかぶって出ていた。人に見られたくなかったと言う。
(警察官に職質されたこともあるらしい。今となっては笑い話。)
わたしは弟を外に連れ出したくて、実家に帰省するたびに外食に誘った。しかし、人の目線が気になると断れられた。
せめておいしいものをと思い、テイクアウトして一緒に食べた。時期を見て個室のあるお店に連れて行った。
段階を経ることで個室でなくても外食できるようになった。
弟にできることが増えると、さらに上を目指してしまうのが人間(わたし)の性である。
家事を手伝い、家で楽しくゲームやアニメを見ている弟。今はいいかもしれないが、母が他界したあと彼に待っているのは孤独である。
そこでわたしは考えた。社会に出て働いてみてはどうかと。
わたしがフォローできるバイトがあったので、「働いてみない?」と聞いてみた。弟は能面のような顔になりフリーズした。
バイトの話を振るのが早すぎたと悟った。
それ以降、バイトに関する話題を避けていた。
が、今、彼はメルカリでそれなりに収益を得ている。よく知らないが物を仕入れて売っている。仕入れのためバンバン外に出ている。
収入で買った大量のロイズのチョコレートを母と食べまくっているらしい。ロイズなんて高級チョコレート、わたしは買ったことがない。
帰省すると、わたしが白目を剥くくらい弟はよく話す。そういや元々弟はお喋りだったなと思い出す。「姉ちゃん、これおいしいよ。食べてみて。」と弟はロイズの期間限定商品をわたしに勧める。「おっ?!これおいしいじゃん🍫」と言うと弟は喜ぶ。弟は自分の好きなもの、おいしいものを家族と共有することに喜びを感じるんだと思った。次々と勧められるチョコを食べながらふと思う。
「弟は本当に負け組なのだろうか」
会社には勤めていないが自分でお金を得て、そのお金でおいしいものを家族と食べる。十分幸せそうだ。
勝ち組負け組の基準は人それぞれ。弟のことを「会社に行かずに暮らせるなんて羨ましい」と言う人もいそうである。
弟を負け組だと決めつけていたのはわたしだった。
わたしは出産、子育てが怖い。心のどこかで、「わたしの子どもが引きこもりになったらどうしよう。弟みたいになったらどうしよう。」いう恐れがあった。弟を否定しているようで、こんなことを考える自分も嫌だった。
たとえわたしの子どもが引きこもりになっても何とかなるのは分かっている。が、弟を受け入れられた今でも怖いものは怖い。
そして相変わらず弟は家族以外と交流はない。
しかし、こうやって振り返ると、わたしたちきょうだいは少しずつ変わってきている。
家族自体も大きく変化した。
父と母は離婚した。離婚後、父は体を壊し施設に入所した。入所に関する事務手続きなどはすべて弟がした。
昔、父は弟に強くあたっていた。立場が逆転した今、弟は父の面倒をみている。
彼らを見ていると、わたしは親と子、人の業について考えさせられる。
仲のいい家族を見たり、「両親と旅行に行った」という話を聞いたりすると胸が軋む。羨ましいと思う。
それでも、不完全なままわたしたちきょうだいは進んでいく。
これからも彼の変化をロイズのチョコレート(もちろん弟が買ったやつ)を食べながら、姉という特等席で見守ろうと思う。
ブログを書いて思い出したエピソードがある。
数年前に休職したとき、わたしは実家で休養していた。
悲しくて、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないのか分からなくて、部屋で泣いていた。
弟が「姉ちゃん、ゲームする?」と誘ってくれた。
30手前の大人2人がスーパーファミコンミニで星のカービーをやる。
両親は働きに出ていない。
小さい頃に戻ったように肩を寄せ合ってデデデ大王を倒す。
わたしも、弟に助けられていた。
